尾藤誠司

「死」は、すべての人にやってくるにもかかわらず、厄災として現代社会においては取り扱われています。そして、「死」に向かうプロセス(かどうかは疑わしいのですが)としての「病気」「老い」「ボケること」「寝たきり」は、「死=厄災」のイメージと直結して人々の認識に植わっていきます。それは、「万人が避けようとする意志を持つ義務がある」かのように認識されているのが現代社会です。仏教でいう「生病老死」は、もともと「現生において避けることができない経験」と位置付けられていますが、その4つの中で「生」のみを切り取って「享受すべき素晴らしいもの」「前向きに上り続けるべきもの」とし、「病老死」を「避けられないが、“生”を豊かにするために避ける努力をすべきもの」と位置付けて、人々の意識と感情を誘導するビジネスが「医療」です。